経営者も含めて意識の高いビジネスマンであれば、成功した起業家の挑戦の過程やストーリーに興味を持たれると思います。
「人はどうやって成功したのだろうか?」と知りたくなるのは自然ですし、参考になりそうなヒントを得られれば儲けものです。
この回では著名起業家のうち「孫正義」氏を取り上げ、そのストーリーをざっと追ってみたいと思います。

■幼少期の逆境をバネに反骨精神で成功を掴む

幼少期の逆境をバネに反骨精神で成功を掴む

「孫正義」氏は言わずと知れたソフトバンクの創業者です。
総資産は二兆円を超え、日本の富豪ランキングでは二年連続トップに立ったこともあります。
孫氏は在日韓国人の三世という立場であったことから、幼少期には差別を受けたこともあるそうです。
父親は孫氏が中学生だったころに倒れてしまったため、家庭の不安は大きかったことでしょう。
孫氏は経済的成功を夢見て単身アメリカにわたって大学に入学し、同時に稼ぎを得るために自分が発明した品を売る計画を立てます。
当時は1日1つの発明をして、それをお金に変えるというなかなかハードな目標を自分に課します。
日に1つの発明などは一般人には難しいことですが、とにかく彼はその目標を立て、そして実際に実行して多くの資金を得ることに成功します。
途中は相当の苦労があったと推察しますが、「やればできる」という信念を持ち続けた彼は得た資金を使って自分の会社を設立しました。

ソフトバンク

しかしその苦労が祟ったのか、孫氏は思い肺炎を患ってしまいます。
完治が難しく入退院を3年も繰り返したため、治療に相当の時間を奪われてしまいます。
ここで彼はふて腐れることなく、自分を成長させる充電期間だと考えてビジネスに関する多くの本を読みあさり、自己向上を図ると同時にビジネスチャンスの創出機会を練り始めます。
そうした準備が上手くいき、その後は「米Yahoo!」社の事業を軌道に乗せて成功をおさめます。
これを糧にして日本に「Yahoo!JAPAN」を設立し、また通信大手ソフトバンクの事業も成功に導くなど、輝かしい成績を残します。
孫氏は19歳の時に将来にわたる60歳までの自分の姿をすでに描いていたそうです。
彼曰く、20代で会社を興し、30代で資金をため、40代で企業買収を行い、50代で事業を完成させ、60代で後継者にバトンタッチ、という具合に大枠での人生をすでに描いていたといいます。
10代後半の時期にすでにこのような未来を自分の中で描ける人が正直どれだけいるでしょうか。
もしかしたら幼少期に受けた差別やいじめなどがハングリー精神を作り上げ、「負けてなるか」という強い思いを持たせたのかもしれませんね。
ただハングリー精神がないとビジネスで成功できないというわけではありません。

計画性

孫氏は人一倍の向上心を持っていたであろうことは推察できますが、そうでなくても起業家であれば誰でも大きな野心を持っているはずです。
計画は順調にいくことの方が少ないのですから、苦境や逆境に見舞われた時こそ「負けてなるか!」の精神でぶつかり、乗り越えていく強さを持ちたいものです。
孫氏は若いころから人生の折り返し地点まで大きな予想を立てましたが、企業経営においても長期的な目線で計画を練ることが重要とされます。
20代で会社を興し、30代で一つの領域で成功し資金を貯める、40代で支店を3つ持ち、50代で新規事業を創出など、自分の人生と会社の成長、発展を両輪で回していく構想を練るとワクワクが膨らみます。
10代20代、30代など精力あふれるプレーヤーはぜひ野心的な構想を持ってビジネスに取り組んでほしいと思いますし、40代、50代の壮年期の方は自社のさらなる発展と同時に自分が社会に残せることや貢献できることなどにも目を向けて頂けたら、日本の経済、社会がより良いものになるでしょう。
もちろん経営には定年がありませんから、60代以降になっても現役でいることができます。
これまで自分が積み重ねてきた知識やノウハウ、経験を次の世代に引き継ぎつつ、最後まで成長を止めない姿勢を見せることができれば、後に続く者の道標になります。

■まとめ

今回は著名起業家のひとり孫正義氏に焦点をあてて、簡単にストーリーを見てきました。
幼少期の苦労をバネに、まずはアメリカで成功を収めた氏はその後日本でも事業を開始し、通信大手の一角を担う大企業のリーダーとなっています。
彼が国内でビジネスを始めなければ、今の日本の経済社会はまた違ったものになっていたかも知れません。
多少のことではへこたれない芯の強さはどの企業の経営者にも必要な素質ですから、逆境に負けない気持ちを常に持ちたいものですね。